古い双眼鏡
古い双眼鏡の魅力

新しい双眼鏡も好きなのですが、古い双眼鏡には独特のメカニズムや光学系など当時その双眼鏡を設計し作った人達の工夫や、存在感のある仕上げの重厚さ、など、最近の双眼鏡にはない興味深いものが数多くあります。カメラについては多くの調査資料や文献がありますが、古い双眼鏡についての資料は少ないのが現状で現物とカタログなどが手掛かりです。これから興味深いものを紹介していきたいと思います。書いているといろいろな疑問も出てきます。間違いなどもあるかも知れません。ご教示いただけるとありがたいです。

第1章 プリズム双眼鏡の国産化
・VICTOR 8x20 藤井レンズ製造所製 1911年頃

英国ROSS社製のプリズム双眼鏡をモデルに作られた最初のプリズム式国産双眼鏡。当時はまずドイツから研磨機、測定器、ガラス材を輸入し製作された。曇りやカビを拭き易いようにプリズムを上下の筐体カバーの裏面に固定したのが特長とされる。実際に分解して清掃しようとしたが、プリズム枠がカシメて固定されており、プリズムの清掃は難しかった。対物レンズ有効径20mm、見掛け視界は40度程度。なぜか製造番号は彫刻されていない。筐体カバーはアルミニウム合金製。発売の正確な時期と製造台数は何台だったのだろう。

明治維新が1867年、ドイツのツアイス社が最初のプリズム式双眼鏡を発売したのが1894年、それからわずか十数年後には国産の双眼鏡が開発されたのは驚異的なことだと思う。藤井レンズ製造所は1909年(明治42年)に藤井龍藏、藤井光藏兄弟によって光学機器の国産化を目的に創立された。

参考文献:藤井龍藏著「光学回顧録」

藤井龍藏著「光学回顧録」には国産第一号 ビクトル双眼鏡と記述がある。
・6x PRISM BINOCULAR 藤井レンズ製造所製

構造は当時のツアイス製双眼鏡に似ている。対物レンズ有効径22mm、見掛け視界は45度程度。中心軸は筐体の鋳物から出ている腕部に取り付けられており最初のモデルとは構造が違う。輸出用モデルと思われ「MADE IN JAPAN」の彫刻がある。同型でVICTOR No4 の彫刻のある国内向け製品がある。大正2年のカタログには陸海軍からVICTORという洋名を廃するように勧告され双眼鏡の名称を和名に変えたとの記載があるので1912年頃の製造だろうか。

当時のカタログにある藤井レンズ製作所の鏡筒仕上室
・6x双眼鏡 英国ROSS社製 

対物レンズ有効径30mm 見掛け視界50度程度。大きさが違うが、藤井レンズ製造所が見本にしたのは多分このような形の双眼鏡だと思う。光学回顧録には藤井龍藏が1897年頃にROSS社製の最初の双眼鏡を英国入手したと記述がある。筐体カバーが中心軸の取り付け部を兼ねているところなど良く似ている。 初期の古い双眼鏡に見られますが、カバー(真鍮製)の文字彫刻は銀が象嵌されている。

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